ブッキッシュ(bookish)について 本に生きる創作のあり方と特徴

この記事を3行でまとめると

本に生き、本の世界に立脚する

「ブッキッシュ(bookish)」について

そして「ブッキッシュ作家」について語ってみたいな、っておはなし。

そもそも「ブッキッシュ(=bookish)」とは

ものを書くひと、日野成美です。

自分の作品傾向を考えつつ、いつものように読書していると

こんな単語に出くわしました。

ーーブッキッシュ(bookish)な作家

辞書での定義はこんなの。

[形動]
 本好きの。書物に凝った。
 堅苦しい。学者臭い。
 (軽蔑して) 机上の。非実際的な。

――デジタル大辞泉より

「彼はブッキシュな作家だ」

「ブッキッシュな衒学をもちいる」

また、

「ブッキスト」

というふうにも呼ばれる模様。

なんかピンとこない(;・∀・)

あれやこれや参照した結果

表現者としての傾向を示す単語

……と、私は理解しています。

本好きの人レクトゥール

本を読むことが生きることである人

リズール

類語に「愛書家(リチェルカーレ)」があるでしょうか。

それらすべてをひっくるめた上で

創作の基盤が現実世界ではなく「本」にある作家

わかりやすく言い換えてしまえば

「本バカの非リア充」

という私のような人間を示します。

(※いや別に非リアでなくてもいいのですが)

今回の記事の目的

この単語どうやら

あまり肯定的にはあつかわれていない模様。

生きた経験・生活に立脚していなければ、

良い小説は書けないという論

世の中ではまだ大勢を占めています。

菊池寛先生も、言ってるし。(参考:「小説家たらんとする青年に与う」青空文庫

でも、そうでもないよね。

っていう話と

ブッキストについて書いた記事が

ググってもあまり出なかった

せっかくなので独断と偏見で書くかな~

今日は、そんなおはなし。


ブッキシュな小説創作とは

本の世界に没頭し、本の世界に生き

本の世界がルーツであるのが、

ブッキッシュな作家

本を読まない創作活動など、創作ではないし人生ではない

むしろこうこないとブッキッシュではない。

ブッキッシュたちは

生きること是(これ)読むこと。

作家である以上は、書くこと是生きること。

なぜ「ブッキッシュ」になる?

ブッキスト作家の代表格

ホルヘ・ルイス・ボルヘス(『伝奇集』『ブエノスアイレスの熱狂』)

ウンベルト・エーコ(『薔薇の名前』)

フリオ・コルタサル(『悪摩の涎・追い求める男』『石蹴り遊び』)

などなど……。

ふつうの読書家でも知らねえなとなるメンツですが

世界文学の最高峰をゆく文豪たちです。

彼らの作品が少々難解であるゆえですかね(;・∀・)

「やむをえず」だったりして!?

↑に挙げた3人のうち2人は

ラテンアメリカ=中南米諸国の作家。

中南米は政治風土的に独裁者が出やすく、

ゆえに言論統制・出帆規制などが非常に厳しく

小説家になるだなんて正気の沙汰ではない。

政治的事情で

小説家になるのがむずかしいかの国々では

「小説=才能により一山当てる成功への道」ではなく

「逮捕・投獄と隣り合わせの博打」なのです。

そのために内にこもるタイプの作家

非常に多かった……のでは、と。推測。

ちなみに彼らは宗主国・スペインなどに留学。

バルガス=リョサガルシア=マルケスなどノーベルな人びとも含め)

バルガス=リョサなんかはかなり長い時期

「金もなく異邦の地(パリ)で

フローベール『ボヴァリー夫人』(本)だけがお友達という

かなり過酷な状況にありました。

特にコルタサルは自分でも

「本ばっかり読みすぎて、

現実を体験できていないという弱みが心配」

と語っています(『悪摩の涎・追い求める男』あとがき 参照 木村榮一 訳)

でもここまで来ればわかると思います。

ブッキッシュ=本の世界に生きている、という状況でも

名作傑作を産むことができる。

現実世界に立脚していない状態でも、

すぐれた小説は書ける、と。



【課題】生きた経験を積むことから遠くなる「ブッキスト」たち

「リアル」とは違う「本の世界」で大量の経験を積み、

それを創作の糧にするブッキストたち。

まったくもってアリ、というか

すぐれた創作姿勢だと私は思っています。

本をまったく読まずに

小説の形式もわからず「小説」を書くのよりはよっぽどいい。

それでもこの形にも欠点はあります。

思いつくのをつらつらと。

人間心理を書くのが苦手(に、なりがち)

これは主にわたしに当てはまることです(;・∀・)

本当にブッキシュを極めれば

こんなことにはならないのかもしれませんが……

私は病気で一時期まで廃人となっており

社会に出るどころではありませんでした。

強制箱入り娘です。

それで暇にあかせて本を読みまくり、

創作の基盤としました。私もブッキストです。

人間のあいだに立ち交じらなかった、その結果――

実地の観察にもとづいた人間心理、社会の動きなどを

描くのが、とても苦手です。

生き生きとした会話とかホントむずかしい。

むずかしい話になりがち

本の世界はまるで織物の精妙な綾のよう。

あらゆる知識が縦糸に、

生きた現実のエッセンスが横糸に

織り手=作家の腕によって、とりどりに美しく成立するのです。

ブッキッシュ作家の代表格だと私が思い、

一つの短編を読むのに

関連本を10冊読まなければならないと評判高い

ホルヘ・ルイス・ボルヘス。

試し読みしてみてください。

まーむずかしいこと、むずかしいこと。

衒学的なのです。ウンチクなのです。

読み手にも教養があることを前提に書きまくるのです。

読書初心者に絶対読ませちゃダメな本として

ボルヘスを挙げることができます。

なぜなら、ボルヘス、ひいては

ブッキッシュ作品読書のためには

読み手も読書の蓄積をしなければならないからです。

ブッキッシュ作家を堪能するためには

読み手も本を読みまくり、知識をたくわえ、経験を積み、

教養を鍛えればきたえる必要がある。

そうしているうちに、本質的に

すべての読書はおもしろくなります。

ちなみにボルヘスの波乱万丈人生はWikipediaで読むと

下手な小説よりおもしろいので、ぜひ(プロフィール写真がマジかっくいい)

取材・ロケハンで本当に良作は書けるのか?

ここでいう良作とは、

小説としての良作のことです。

別に現実の鏡写しのような作品を書かなくてもいい。

むしろ人間の読書とは

現実世界から逃れるためのものであり

現実を追体験するものではありません。

逆に。

現実の題材を鏡写しに

それっぽく小説化して書いて、なにが楽しいというのか

あまりくどくどしく書くと

文字数がすでに2,000字をこえているので

詳細はこちらの過去記事にゆずります。

https://hinon-akikonom.com/2017/11/20/fiction-novel/

ブッキッシュな作家の強みとは

小説のなんたるかが、確実に身についている点です。

ろくろく読みもしないで勉強もしない作家により

現実の鏡写しをつらつらと書かれ

せっかくの題材を活かし切ることのできていない作品が

どれだけ世の中にあふれていることか。

事実は小説よりも奇ではない。

現実の題材を小説としてよい作品にするのが小説家だ。

現実と小説世界を分離させて成立させるのは優秀な小説家だ。

やばいっ、文字数3000字超えたッ!

ではこのあたりで、またネットの海で。


今回の記事は

フリオ・コルタサル

『悪摩の涎・追い求める男 他八篇』木村榮一 訳・解説

の、解説を参考しながら書きました。

ラテアメよ永遠なれ!

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