【小説】「神の正気」3【習作としての二次創作ワークショップ用作品】

神の正気 3(承前)

もうお二方とも三十に手が届こうとしていました。二人ともに想いをよせる娘がいました。

十七、八になるうつくしい乙女で、北方の森の境に住む一族の女でした。深い色をした木のあつまって生える寒い土地から、年に四度、行商でやってくるのです。日よけの白いシルクのスカーフにつつましく髪をしまっていましたが、その毛の色はさめるような黄金色です。眸の色は水面のような青です。おとなしやかな女と思うなかれ、猛々しく、野盗や獣に対抗すべく長剣をもあつかう強い乙女なのです。

お二人はこの乙女の前に出るとひな鳥のようになってしまい、すっかり「いいこ」に化けてしまうのを、年老いた召使いらなどは肘をつきあいながら微笑んで、主人らの恋心を祝福したものです。

あれは、くだんの乙女が最後に来訪したのは、御父アダムが脚気の病に伏したときで、彼女は異邦の薬を持ってやってきたのです。

故郷でも随一という娘の施療はふしぎな力を持ち、アダムの容態は軽快にむかっていきました。

ある夕べ、アダムの病室を出た娘をカインは待ち受けて、呼び止めました。

「母の加減が」

「イブさま?」

と、けげんに乙女はカインを振り向きます。そのあざやかな視線に一瞬すくみながら、

「看病疲れで、熱が」

ようようのことでカインは言いました。

「そちらもすぐ参ります」

娘はうなずいて、なおもつくねんと立ちはだかっているカインの大きな体躯を、眉をかすかにひそめて見ました。

「なに?」

「おれの畑に、あなたの種でもって育てられる薬草はあるだろうか」

ああ、これがあの方なりの求愛だったと察するには、よほど敏感になっていないといけなかったでしょう。娘は大真面目に小首をひねり、

「さあ、どうかしら。そこでどんな作物を作っているかでも違ってくるから。土の種類なんか」

そう聞くやカインは、よろこびに眼をかがやかせて自分の畑作について熱く語りはじめたのです。その声は活き活きとしてほとばしるようで、はじめはぶきみなように見守っていた娘もやがては、つりこまれて耳をかたむけるようになりました。カインは無意識のうちに娘の眸のほかにもあちこちに視線をやっていました。

ヴェールと丈長い服に隠れているとはいえ、異邦の民族特有の大きくふくらんだ胸とまろやかな腰つきは、みじろぐたびにカインの官能を刺激しました。

女というのは、おそろしくて、不可解なものですね。後年、その髪でもて作った縄でとらえれば象をも倒す、と言い習わされた〈女〉という魔性の魅力は、無邪気なだけあざやかでやわらかなものです。いえ、主よ、女を創られたあなたを責め咎めるつもりなどありません。ただ、謎でなりません。女はなぜあんなに魅力的な謎なのでしょう。そして男はなぜ、みすみす女に呑まれたことを不当に怨むのでしょう。

娘が、別の召使に呼ばれたのをしおに立ち去ってしまうと、カインはしばらくぼうっと立ち尽くしていましたが、ひとつ首を振って御父アダムの部屋へとそっと入りました。

アダムはもうすでに老人で、寝台の上に苦しそうに白い眉をよせて眼をつむっていましたが、息子の気配に気づいて目配せし、脚をさすらせました。カインはそれにしたがって、横たわった父の足元にひざまずきました。

御父アダムは御母イブさまともども、あの日以来それまでのように、この長子を慈しまなくなっていました。御自分たちが神の御旨に逆らった過去があり、その挽回を御子たちに託しておいでだったのでしょう。しかしカインの作が否とされてから、お二人とも目立って彼にむけて口すくな、冷淡になっておしまいになったのです。カインも、なにせ内にこもる、ときに頑固な人なものですから、それに逆らうでも文句を言うでもありませんでした。妙な言い方ですが、拗ねていたのかもしれません。

それでも子としてのつとめは最小限に果たしておりました。そして召使いらはみなカインに、同情を寄せておりました。

「お前の手はざらざらしているね」

アダムは深い声で言いました。

「アベルとは違う」

思わず一瞬カインは手を止め、おのれの黒くかたい掌をながめました。

「お前には自由意志がありすぎる」

アダムはさらに言いました。

「自由意志とは何ですか、父上」

「誘惑に従うことだ、神の意向を斟酌しないことだ」

「いつだっておれは、神のご意思を考えて行動しております」

「そうか。だがそこはアベルがよく心得ている」

深くつらい沈黙が落ちました。

「なぜおまえがあのとき、否、とされたか、わかるか」

アベルは沈黙します。偉大なる人類の父、人類最初の神への裏切り者はきつく目を閉じて、こうささやきました。

「人と神の法は違う」

カインは父の言葉を聞きながら、脚をさする手をやめませんでした。

その明晩のことです、アベルとわたくしが行き会ったのは。といっても、わたくしは御母イブのお部屋へ水差しをさしあげに行ったのです。イブさまは炉火のちかくにご愛子《あいし》の席をつくり、ほほえんで息子のことばに耳をかたむけていました。

「この土地を統べる者の長として、兄上アベルをよそ人と番わせるわけにはいきません」

それから続いた言葉にわたくしは耳をうたがいました。

「ですから、あの娘に関してはぼくに一任してもらえませんか」

それにつづいて、イブのかろやかな笑い声がつづきました。二人の密談は親密に行われ、ときおり明るい声が部屋の外へももれ聞こえるほどです。

主よ、わたくしは灯影のうすぐらい戸口の外で、総身を冷たくして顔をおおっておりました。

出てきたアベルはすっきりとした顔をして、

「アベルさま、あなたさまは、密告なさったのですね」

そう言ったわたくしを、義とされた人はしずかな面持ちで見つめてきました。

「考えてもみなさい。われら一族に、異教異邦の女がつらなるのが、主の御心にかなうと思うか? われらは聖なる幕屋を守るつとめがある。兄上はその勤めを継ぐものだ。それは聖なる主から委託された聖なるつとめだ」

アベルは教え諭すように言いました。

「なんどきでも、主の御意向を考える。それが義とされた者の役割だ」

これで話は終わりません、主よ、どうぞお厭な顔をなさらないで、すべてあなたさまにご関係することなのですから。

それから何日もたたない夜、わたくしは主人カインの部屋へ呼ばれました。

「これを行商人らの天幕に、あの娘に直接お渡ししなさい」

「行商人らの天幕に、で、ございますか」

と、わたくしがもう一度聞き返しますと、

「そうだ」

オレンジの白い花が愛らしく咲きこぼれた枝へ、羊皮紙が不器用に結わえてあるのを見て、わたくしはおもわず頬がほころびました。カインは手づから不器用な恋文を書き送っていたのです。御意の意を伝えて、わたくしはその大切な文を胸に抱えて立ち上がりました。

カインは収穫物の帳簿を羊皮紙につけていた手をやすめ、腕くみして眼を伏せていましたが、

「おれは、ただしいのかな」

と、ちいさくこぼしました。

「すべて神がよみしたもうでしょう」

わたくしが心のそこから言うと、カインは唇の端をさびしげに曲げました。

そのときでした。カインの部屋へ迷いこむように、小さな女の子がおぼつかなく入ってきました。彼女はカインを見上げると、さっと手に持っていた枝をさしあげました。

それは、アベルの恋文の返しの使いの童女だったのです。

使いはおごそかに柳の枝を渡しました。その童女はこの土地の言葉に不自由で、カインとアベルを夜闇に見間違えたのでしょう。いずれにせよアベルの文は恋敵の兄の手に渡りました。

連綿たる激情が、巧みな言葉で書き連ねてありました。カインはそれを見て苦しげに机に額をつけ、うめきました。その文章がいかにも洒落ていて、若い女の好みそうなことだったからでしょう。

このときのわたくしの心の有様を、主よ、あなたはお察しくださるでしょうか。

小狡い、と思いました。こんな子供だましの〈義〉を、こんな欺瞞を駆使するアベルを、あなたは佳《よ》しとされたのでしょうか。

しかし恋文を柳の枝につけてそのまま突き返してきたということは、恋は結ばれなかった意味です。アベルの手紙はすげなく突き返されたのですから、これで安心していいはずでした。

けれど、その次の夜のことでした。白いヴェールの女が囲いから牧場をぬけて、この邸のアベルさまのいるお部屋のほうへむかったということが、口の軽い若い召使いからカインのお耳に入ったのです。

その報を聞いてカインは顔色を白くして黙りこみました。折しもそこへ、アベルがやってきました。





更新遅れてほんと申し訳ございません。

日野成美(@hinonarumi)です

今期3月末の新人賞を見送る、という決断をしたのが昨日。

しばらくはブログと、ネット公開小説に

専念します。

んでもって、お待ちかね

神話独自解釈・二次創作短編『神の正気』

起承転結の「承」に入ってきました。

第一話はこちら。

https://hinon-akikonom.com/2018/01/09/novel-kaminosyouki-1/

そして、オリジナル人物が出てきて

(゚Д゚)ハァ?

となった方もいるかと思います。

それについても、きちんと狙いがあるので

解説してまいりましょう。

カインとアベルを「人間」として描くための、NEWキャラクター

行商の娘をめぐる恋愛ドラマ

彼女は、元ネタである旧約聖書の創世記には

出てこない、本作のオリジナルキャラクターです。

彼女の存在をなぜ入れた?と問われれば

「カインとアベルをもっとえぐるために

必要な存在として」

と答えられます。

価値観にヒビを入れる「第三者」としての娘

カインとアベルの神話は、「神の物語」です。

彼らはもちろん、語り部の召使ふくめて

人びとはユダヤ教的価値観、

つまりユダヤ教の神=唯一神ヤハウェの価値観の中で

生きています。

しかし私は日本人。

この価値観のなかで物語を完結させるのは

ちょっと厳しかった。

そのため、視点をひろげるために

登場させたのが、北方の行商の娘です。

ここは完全に、日野成美のオリジナル。

娘は、おそらく北方の多神教的な風土に育ち

(唯一神教は世界的に非常にめずらしいのです)

カインとアベルの動向に疑問をもつだろう

価値観をもった人物です。

彼女の存在によって、

カインとアベルたちの世界に風穴を開けたい、

リアリティの風を吹き込みたい――

人間を描く、神話をえぐるのが今回の目標でした。

そのために、彼女は必要な装置だったのです。

っと、ここから先は、物語の展開に

まかせるとしましょう。

元ネタ読んでの疑問「アダムとイブはなにやってたんだ?」

智慧の果実を食らい、楽園から追放され

「産めよ増えよ」との神からのお達しのとおり

地にみちるまで子を殖やした、

人類の祖・アダムとイブ。

カインとアベルのこの事件のとき、

まだご存命です。

どんだけ長生きだよと思いますが

ノアの方舟造ったノアさんは

700歳の超老齢だったり、

旧約聖書の人物はビックリな長生き例が多いです。

……神話だからね!

「親から見放される」という恐怖

私は本作を書くとき

カインの疎外感に感覚をむけて

執筆をしていました。

どんどんカインを追い詰めていく。追いつめられる。

よほどのことがないと、人間はひとを殺さない。

とりわけ私のなかのカインのイメージは

「善良で不器用」というものでした。

少なくともキレキャラではない……!

そしてアダムとイブに思いを馳せたのです。

神の最初の裏切り者のかれらは

神から否とされた息子を、どうあつかうか?

禁断の果実を食らい、

「罪」を得たアダムとイブは、まぎれもなく「人間」です。

人間は、子どもに平等に接することができない……のではないか。

カインを追いつめる一員として

アダムとイブを登場させてみたのです。

ちなみにこのアダムとイブのシーンは

最終稿も近くなってから浮かんできて

挿入してみたものです。



と、いよいよ次からクライマックス。

お読みいただき感謝です。

最近忙しくてブログがとどこおっていましたが

ちゃんと更新もしますね。ゆびきりげんまん。

では、またネットの海で!
にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする