【小説】「神の正気」1【習作としての二次創作ワークショップ用作品】

神の正気  日野成美 作

全能の神のくだされる御言葉は絶対とはいえ、あのカインとアベルの犠牲には、多くの人間が口をつぐんだままではありましたが首を傾げたものです。
われらが祖《おや》、アダムとイヴの子らはひろく大地に散り、服を織り文字をみつけ、木と土壁で家をつくるようになりました。これはそんな、人間が文明を得てからそんなに経っていない昔のお話で、いまこの時だからこそわたくしはぜひとも、あなたさまに訴え出たいのです。
カインとアベルのご兄弟――兄上さまのカインが御父君から畑を託されたのはちょうど十四のときでした。
畑というもの、作物を養うのはむずかしいことを、御父君はご存知だったのでしょうが、カインはそれに見合うだけの聡明でねばりづよい御子でした。成年式の夜、くゆる灯影のもとで短剣をさずかったカインは、つつましく頭を下げて畑作の土地を引き受け、わたくしたちご自分付きの召使いをしたがえて開墾《かいこん》と耕作にかかりました。
主よ、あなたから与えられた土地は大きく、お屋敷から数里離れたところは黒土のゆたかな温暖な地で、安息日をのぞいて歌いながらその畑に出、オリーブや大麦などの作物を育てていました
弟御のアベルさまにもやはり畑をあてがうつもりで、御父君アダムはいらしたそうです。が、成年になった十四の夜、めでたい香油や乳香を焚いて鶏をさばいた祝いの席で、御父君がなにか言うより前に、酒の盃にほろ酔いになりながらアベルは言いました。
「ぼくは家畜というものをあつかってみたいです」
陽気に言われて、みなあっけにとられました。しかしわたくしどもが御父君を横目で見てみますと、厳しい頬をゆるめて、なんとアダムはそれに許しを与えたのです。
アベルはみなの頬をほころばせる、ふしぎな力を持っていました。
山羊に羊、牛。何十頭とあずかった家畜たちを日々愛で、乳をしぼり毛を刈り取り、アベルと彼付きの召使いたちは愉しげに働きました。
一方で物言わぬ作物というものを相手に、カインは瞑想にふけることがよくありました。小さく詩を口ずさむときもありました。そして多くの時間を祈りについやしました。
長子の苦労、と申しましょうか。
わたくしは主人カインに、御親たちのえこひいきがおつらかろうと言ったことがあります(よくあの方はぶどうを発酵させた甘い酒をふるまってくださいました)。
「そうさな」
カインは木の器から唇を離さぬまま、
「おれも、くるしい」
と、ささやきました。
「しかしすべては全能の神がよみしたもうことだから。親に従えというのは神の第一の教えでもある。不平を言わず、ただ雌牛のように働くことさ」
わたくしは、神よ、人としてわがままでございます。あなたさまの御言葉を絶対とすることができません。罪深き心を赦し給わんことを。
とはいえ、弟のアベルがずる賢い悪党なんて言うつもりは千万ございません。陽気でやさしく、兄上のカインと話すときもほがらかに礼儀を失することなく、畑のほうへ来る折があれば、
「よう、よく働いているな。作物も重く実っているな」
と、わたくしたちをよく見舞ってはげましてくださったものです。
アベルの家畜の糞を畑の堆肥にしていましたから、兄弟は作物のことでも頻繁に行き来がありました。丘のまきばに顔を合わせることもあれば、畑へ下りて話をすることもあります。そうしてたがいの領分をいたわりあいながら過ごしていたのです。そのまま数年はおだやかな仕事の時間とともに過ぎました。
広く土地は開墾されて、遠近《おちこち》に小麦の穂やオリーブの緑は風にそよめき、家畜は日を追って増え、すこやかな鳴き声を響かせるようになりました。
しかしすべてが難なく行われたわけではありません。お天気ばかりは人の手にどうなるものでもございません。霜が降りた、大水があふれた、日照りだ、長雨――そういう中をわたくしたちは乗りこえてゆくのですが、このような天気の変のあおりはどちらかというと畑作のほうが受けやすいものです。たまにわたくしたちは家畜番の彼らがうらやましくなるときもありました。

あの決定的な日には多くの人が立ち会っていました。

(2 へ続く)


さてはじまりました、実践ワークショップ。

小説を書くひと、日野成美(@hinonarumi)です。

今回あつかっているのは、

旧約聖書の創世記における「最初の人殺し」

カインとアベルのエピソードです。

前提と詳細に関しては、こちら。

https://hinon-akikonom.com/2018/01/09/syousetsu-secondary-creation3/

何回かに分けて、

だれかの作品を徹底的に解剖していくというのは

あまりないことだと思うのですが

これでもって、今後小説を書いていく方が

なにかの参考にできればと

そう願っております。

まず言いたいのは、

この作品のみならずすべての小説を、

少なくとも日野成美は

「筆の向くまま書いてはいない」ということ。

いろいろ考えて書いています。

むずかしいんですよ、小説って。

だから、おもしろいんです。

では参りましょう。


「語り口」問題

今回、作者が一番気をつかったのは

「語り口」です。

昔語り、という方式を用いたのですが、

これは太宰治の傑作「右大臣実朝」

芥川龍之介「地獄変」

からインスピレーションを受けて、この形にしました。

「無名の第三者の昔語り」にした理由

語り手とともにその場にいる感覚になることができ、

かぎりなく三人称に近い一人称

「無名の第三者の昔語り」だと判断したからです。

そしてこの物語はなによりも

「神話の世界」。

三人称でリアリズムに走るよりも、こちらのほうが理想的かな、

と思いました。

人物造形

カインもアベルも語り手も「日野成美(作者)」ではない

短編とは、人間ではなく事件を描くことが多い形態です。

が、人間の心の機微を描くのが本作の目的。

人物(キャラクター)はみずから活動しなければなりません。

で、主要キャラクターの

・カイン

・アベル

・語り手

また、このあとも何人か人物が登場しますが

全員かれらは、

作者(日野成美)の分身として造形したものではありません。

作者=人物にしない作家側の一番のメリットは、

執筆が(比較的)苦痛にならない、という点です。

人物と自分が近ければ近いほど、

仮想世界でさらされる危機や事件に対して

耐えがたい思いをすることになります。

「自分なら、こんなことしたくない……」

それが積もり積もって、作品がどん詰まり停滞し

ついにはお蔵入りすることも。

今回「カインとアベル」は結構

えげつない理不尽にさらされることになるので

人物と自分が距離を適度にとることは

大切なことでした。

唯一参考にしたことは、自分の家族に関する経験

家族って、理不尽だ。

三人兄弟の第一子で長女の日野成美、

かなり理不尽な思いもし、弟妹のために体を張り

両親とも軋轢があり……と、

そんな問題とはずっと戦っています。

が、これは私事。

小説には一見関係のないことですが

不幸は小説のネタ。

自分のつらさ、恨みつらみを

カインにエッセンスしたり

能天気なアベルの調子は、

弟妹の様子を思い出したり。

ただし

私=カイン、弟妹=アベル、では断じてありません。

彼らは、彼ら。独立した存在にしてこそ、小説は成り立ちます。

ディテール(細部)に神=リアリズムは宿る

作物や天気の様子をあえてちゃんと情報として入れておく

今回がんばった(`・ω・´)シャキーン のが、

カインとアベルをとりまく生活の軸となる

「作物」そしてそれに関わる「天気」への描写です。

これはちゃんと物語(ストーリーテリング)の中でも

機能していく装置なのですが、

入れておくのと入れないのとでは

物語の「立体感」がまったく違います。

こういう「地の文」の「描写」が

小説に魔法をかける呪文です。

カインとアベルを目の前によみがえらせたかった、

本作「神の正気」。

うまくできた部分だと思っています。えっへん。



さーて、今回はここで切ります!

物語も解説も、次回をお楽しみに。

ではまたネットの海で。

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