まどマギのさやかが「正義の味方」として破滅した理由についての考察

この記事を3行でまとめると

2011年の傑作アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』をいまさら鑑賞。

登場人物の1人・美樹さやかの口にする

「正義の味方」「正義」について、いまさら考えてみるおはなし。



私はほむほむ派なんですけどね。

というのはともあれ、

あの傑作『魔法少女まどか☆マギカ』が

Amazonプライムビデオに登場。

うっかりポチって会員になった私は

その恩恵を受け、

セリフもカットも暗記するほど観まくりました。

そんな中。

なぜ、魔法少女の中でさやかの破滅が1番早かったのか。

(魔法少女になってから魔女化するまで、

キュウベエの暗躍もあってとはいえ数日程度しかない)

彼女の中のキーワードにして頻繁に口にされる

『正義の味方』

というのが、気になって気になって、

思いきって考察してみることにしました。

以降、ネタバレを含みますので

ご了解くださいませ。

もう何も怖くない!という方はレッツゴー!

「正義の味方」というのがうさんくさく思えるのは、大人の証拠

あるいはスレた子供か、そういう教育を受けた子供か……。

どちらにせよ、ある程度の年齢と人生経験を経た人間ならば

一発でのされるザコ敵のみを従えた

「悪の組織」メンバー単体に

「正義の味方」が複数人で襲いかかることのアンフェアさや

金銭目的の犯罪というものは

命や生活にかかわることであるという動機に対する理解や

学校や会社が掲げる大義名分や建前が、

理念はとしては正統であり、かつ

あまりあてにしないほうがいいということを

なんとなく、実地で学んでいくはずです。

そしてなんとなく、気づくのです。

正義や善意の実行というのは、

畢竟、独善的な満足がどこかにあることに。

それを「汚い、いやなもの」と思うか

「にんげんだもの」で割り切るかで、

生きる難しさが変わってきます。

無報酬で他人のためにすべての希望を棄てるほど、人間安くできてない

魔法少女とは

――(このあと重大なネタバレを含みます)――

――――(よろしいですね?)――――

本体はソウルジェムとなった存在であり

「体」は外付けのハードウェア。

戦闘に特化した死体を引きずって生きているふりをしてるだけ

というものです。

魔法少女として願いと奇跡を1つ叶えるかわりに

みずからの希望と将来をすべてフイにするという

絶望しか生まないシステム。よくできてますね。

驚異の営業マンであるキュウベエにより

肝心なところを隠匿されたまま

少女たちは〈魔法少女〉になるわけですが……

ほかに選択肢のなかった・巴マミや

事実上「魔法少女」以外の行き場と生き方のない・佐倉杏子は

それ以上棄てるものがないため、受容できたことでしょう。

(作中の時間軸でのマミさんはこれを知らなかったわけですが)

暁美ほむらは、自分の使命があまりにも明瞭であったために

正体を知らされても、それを乗り越えることが可能でした。

ほむほむの鋼メンタルは異常ですけども。

けれども、さやかは

「一般人としての日常」を送れるとどこかで思っていたことでしょう。

ただ魔女と戦うことだけは、やめられないとしても。

さやかの定義する「正義」とは何だったのか

古代ギリシャ以前からそんなのは

エラい頭のいい学者さんが論じていますし

そうでなくても、思春期をふっと過ぎたころ

「正義ってなんだろ」と考えてみた方は多いのではないかと思います。

基本的に、私は

なにかを守ろうとする心が正義の端緒

だと思っています。

そして、それを主張すればするほど

ゴタゴタともめるので

正義はあてにならないと思っています。

ある程度の思想的背景や人生から学んだ信念がなければ

「正義」の遂行なんてできないわけですが

14歳の少女であるさやかに

それがあったのかどうか……

そして決定的なことに

さやかは「守るべきもの」の根拠さえ失うわけです。

「正義」の「根拠」であった上条恭介の裏切り

退院通知くらいしろよな。

その時点でこっちから振りたくなる

さやかの幼なじみにして原動力・上条恭介。

この少年が、さやかにとっては

「守るべきもの」だったわけです。

でも彼はさやかのことなど、ほとんど考えていない。

あまつさえ、お育ちのいいお嬢様に鞍替えする。

守るものなんて、なにもない。

戦う理由なんて、なにもない。

でも、すべてを失ってしまった。

これ以上、フツウの日常は手に入れられない。

なのに戦い続けなければならない……

結局『正義=独善』であるという、虚淵玄のなかなか渋い結論

さやかは絶望し、破滅して魔女となったわけですが

最終的には杏子に「引き受け」られ

12話ラストでも救済が語られます。

けれども、彼女が口にして、それを動機に戦った「正義」とは

あまりに、言い方を変えれば自分勝手、自己満足だったと言えるでしょう。

でも、中学2年生女の子。

割り切れなくて当然、よく頑張ったと思います。

また、さやかの等身大の姿があることで、

物語に視聴者が感情移入できるようになるという意味でも

ストーリーテリング上重要なキャラクターでした。

しかしさやかの「独善」と「利害」の入り混じった「正義」は人を救ったのも事実。

さらに言えば、だれかを救うという目的を持って行動した

さやか、マミ、杏子の存在があってこそ、

みずからのすべてを投げだして

すべての魔法少女の苦痛と苦悩、絶望を愛する

生贄の子羊=キリストのような願いを覚悟して選びとった

まどかのラストが活きるわけです。

本当によくできたアニメで、何度見ても飽きませんね。

梶浦由記音楽とkalafinaのエンディングも最高です。

さんざっぱら議論された話題かもしれませんが

自分でも考えてみたくて。

おつきあいいただき、ありがとうございました。

ではまたネットの海で。

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