【エッセイ】したたかに、宗教が生きのびる形、清水寺

夢の古都・京都に到着して八日の月日を経験し、そのあいだに、この日本の「宗教」のしたたかな稼ぎ手ぶりを見てきたが、今回のみやこ旅でもっとも「信仰の場」というのを感じた場所が、清水寺である。日本の信仰のもっとも日本らしいところであると思った。

京都は街を市バスがめぐっている。これでたいがいの観光地をめぐれる。ただ、コースによりともすると真反対どころか郊外まで連れて行かれるので注意が必要である。

朝日の燦々と降る「清水寺道」というバス停で下りる。

バス停到着の朝八時半にして、人の吸われていく道が清水寺への道だろうと目算をつけたら果たしてそうだった。参詣を終えた十時半には前に進むも後に戻るも難しいような大混雑となっていた。

細い坂をずんずんと登る。この日、最高気温は二十六度。

いつまでも続く坂を登り、ぜいぜい息を切らせながらふと気づいた。

そうだ、ここは寺だった。

寺は修行の場所だものだから、むろんのこと厳しい場所に自らを置く。山の坂を登り降りすることで何か心身を統一するということもあるのだろう。

だものだから、あんまりバリアフリーではない。

しかしそれでもずいぶん、車椅子の参詣の方や知的障碍をお持ちの方などがいらしていた。

で、寺はたくさん人が来る場所なものだから、こんなに良い商売ができる場もない。

隙間を作るなんてもってのほかとでも言うように、みっちりと土産物屋が群れている。

まだ開店の前で、表は至極ひっそりとしている。けれどそっと中をうかがうと、準備の従業員たちがほとんど殺気立って立ち働いていた。帰るころにはここが、すさまじい場所になることとなる。

清水寺の、開門はグーグルによると朝九時。しかしゴールデンウィークの特別期間でやや早いらしい。もう多くの参詣者が入り口にざわついていた。

さて最初の拝殿で九時から受付がはじまる、

清水寺〈胎内くぐり〉というものがある。

〈胎内くぐり〉とは案内のおじさまいわく――

清水寺の御本尊は〈随求堂菩薩〉とおっしゃり、おかあさんの仏さんである。秘仏なので公開はされていない。けれどもその「胎内」をくぐらせていただくことはできる。それで生まれ変わるのである。ただ、もちろん神聖なので絶対に口をきいてはならない。

「お願いごとは1つだけ、1つだけですよ」

と案内のおじさまはにこにこ言っていた。

布施は二百円だったように記憶している。

旧式な木製の急階段を十段ばかり下っていくと、まったき闇である。

現代ではまず見られない、光の要素がまったくないぬばたまの暗闇が四方を押し固めている。左手で手すりをつかみ、右手で荷物をおさえる。なんせ暗闇だから、荷物は一度なくしたら戻ってこないらしい。勘弁だ。

左手に触れるのが、どうやら大きな数珠の珠ようなものである。

ところでこの胎内、まっすぐ一本なのかと思ったら何度も曲がるらしく、わたしは角のところだと気付かなくて、つっかえてしまった。さぐっていくと、少し前に右に曲がるよう手すりがあって、あわてて進んだ。後ろのみなさん本当に申し訳なかった。

さてついに御胎内の石へとたどり着く。

――お願いは一つ。

私は下鴨神社で小吉を引き、北野天満宮で中吉をもらい、平安神宮で大吉を得た。それら神様からのご託宣の中へは「家のものと仲良くなさい」と軒並み書いてあったのである。

おとなしく、

「家族安泰、みんなげんきで」

と念じてきた。

あたらしく頭上に見た陽光を浴びて、やっとほっとした気がした。そしてたしかに気分が新たになったような気がする。

なるほど、これは、ありがたい。

さてこの清水寺、テーマパークのごとく見どころ満載である。

〈胎内くぐり〉そして何よりも高名なのが、あの

――清水の舞台。

たしか古文の教科書で、実際に屏風をパラシュートにこの舞台から飛びおりたという男の記録を読んだような記憶がある。イカした逃げ方だ。

その舞台は一部修繕中であった。

それで。

言っちゃあなんだが写真なんて撮れたものじゃない。私はブログに上げる関係から人の顔とか撮りたくないので、あれやこれや工夫をしたのだが。

むり、これ、絶対入っちゃうから。

写真はあきらめて、ただその絶景を堪能することとした。

天は青く、地は新緑の翠(みどり)である。その舞台から京の都が掌握できる。

京の人たちは、見事なものを残してくださったことだ。

さらに進めば、第三のスポット。

『音羽の滝』という掲示がある。

「音羽山の音せじ滝の」という古歌くらいは古典好きなだけに私も知っていて、その下の句までは思い出せないのだけれど、この境内に華厳の滝とかのような瀑布が岩間から落ちているのはなんとも風情のあるものだと、うきうきしながら早足に向かった。

なんか、違った、全然違った。

四角い石の函(はこ)のようなところから、ちょろちょろと水が吹き出ている。どう見ても滝ではない。

これは長い時代のあいだに工夫されたものだろうか。芭蕉が「末の松山」を探訪したらそこは墓場になっていたという逸話があったが、芭蕉もこんな気分になったのだろうか。

音羽の滝に背をむけてしばしゆくと、お鈴を鳴らす尊い音が聞こえてきた。

編笠かぶって袈裟を着付けた、托鉢僧というものに私ははじめて出会った。

この方々がまじめな、つまり本職の僧侶なのかはともあれ、大真面目に経をあげ、布施をしてくれた参詣者に御札を渡し、それに付け加えてお経も上げてくれている。

なんだか尊いような気分がわいた。

私もかなり大真面目な気分になっていたので、そのお坊さんにお布施をして、

「すみませんが病気平癒のお祈りもしていただけませんか」

と、お頼みをした。

坊さんは少しまばたきし、「病の……平癒を……」ととっさに言葉を選んでいたが、えいと決心をしたらしく、「ちょっと後ろを向いてください」とこう私に言った。

何やら真言めいた経を唱え、何か私の背中の芯のあたりを探っていたかと思うと、いきおいよくその背へ衝撃が来た。ポンと托鉢僧が私の背筋を叩いたのである。弱っている芯へと喝を入れるかのようだった。

私はあわてて頭を深く下げ、次の人に順番をゆずった。

すみません、百十円くらいしか布施できなくて、本当にすみません。

この清水寺で私は「日本の信仰」を見出して、なんだか安心したような気分だった。

そうだ、これくらい聖俗ちゃんぽんなほうが、健全だ。

つまり開き直って維持費を拝観料として徴収し、祈るなんていう漠然としたことでなく、モノやグッズを売って手前の生活費を稼ぐ。アミューズメントパークよろしく神事や仏事を体験していただき、こちらはありがたい気分になりそちらはお金が入る。

それで信心するもしないも受け入れて、楽しませてから俗界へ送りだす。

これからの宗教って、こうして生きのびていくのだろう。

こういう信仰と宗教の形があるなら、日本というのは、悪くない。

明日、みやこを発つ。

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