【エッセイ】金閣の存在する京都をゆるす

私の金閣寺への憧憬(どうけい)は無論、三島由紀夫に依(よ)る。

金閣だけは見て帰ろうと決意していた。三島が、脳内で、燃やした金閣。

見たい。這ってでも、見に行きたい。

朝六時のタイマーを体が無視して五時半に起床し、部屋の片付けと朝食、洗い物をすませてくりだしていったのが、バスの時間の三十分前である。

バッグの中にはもちろん三島由紀夫『金閣寺』の、新潮文庫の特別版で金色の紙装丁できたものを篭(こ)めていた。その前々日にすでに何度めかを読み終えていた私はさらに、バスを待つ椅子の上でこの完璧な作品を読み返した。

あらすじは言うまでもなく「金閣を燃やす男の物語」である。

この作中で三島は、金閣で主人公に娼婦を踏ませたり、金閣の花を盗ませたり、しまいに放火させたりと犯罪三昧をこなさせているので、さすがに「三島金閣寺ごっこ」はできない、が、その追体験はできるだろうと思った。聖地巡礼である。

バスで数十分揺られて、私は金閣寺道という停留所へついた。森といってもいい新緑の群れにはばまれて、金閣の反射の光すら見えなかった。

ところで京都へ着いて、開いた口をふさぐのを忘れたほどだったのが、社寺のしたたかな商業化である。

信仰というのはどうやら古い流行であるらしく「パワースポット」という呼称で、生き残りのあらたな潮流を生み出していた。

お守りやおみくじのかわいらしさなんかで独自性を出し、境内でおみやげや茶、菓子、酒、小物雑貨まで販売してしのぎをけずっている。ちなみに京都のおみくじは三百円する。田舎ならせいぜい百円が相場である。高い。手触りからの判断だが使用している紙が高級なのかもしれない。

維持費を生み出すために法外な葬儀の代を請求書に書く檀家寺より何十倍かましかしれないが、世の中やはり金が強い。こういう俗なところが私は日本的で大好きだが、それでも信仰的な参詣には水をさされる気持ちにはなるのだ。

金閣は信仰の場所ではないように思った。

「見せるためのお寺」

と京都へ在住したことのある妹は明瞭に説明した。

たとえば東京の浅草寺などは朝の四時でも参詣ができた。夜行バスで東国へ帰り着いたその払暁に私は浅草寺へ行くと、ランニングや朝の参詣の地元の方が参道へいておどろいた。ついでに、おみくじも引けた。

基本的に宗教施設というのは、昼夜をとわず信者を受け容れるものであるというふうに、私は認識している。

金閣は見られなくてもせめて仏前に出て念じるだけでもできるだろうと思っていたら、グーグルの「営業時間」の欄にこう書いてある。

「開門、九時」

門が開くのが九時である。境内に入ることすらできないらしい。

金閣って、なんなんだ。

ともあれ、バスは金閣寺道へと着く。

さすがに空いていた。

参道をのぼると門がひらいていて、もう人が受付のところでわだかまっている。大型連休期間だけは開門が八時半らしい。

受付より少し右手の建物に、「写経」、という字が看板にあった。

掲示によると、経文の長さによって金額が違う。例によってここでも、お金。私は先に御札という名のチケットと四百円を受付で交換し、写経について尋ねた。時間は早いができるという。礼を言って写経場の戸をうかがうと、背後から、

「写経でっか」

と、卵のように頭を剃りあげた五十ばかりの作務衣の男性がこちらへ後ろ手にやってきた。引き戸をがらと開けて、寄ってきた作務衣の若い女性に「写経」とぞんざいに言いつけたのち、こちらに挨拶もせずに表へと戻っていった。続々と境内に人が入る。女性の職員が私を案内した。

職員、というのも、まあここの作務衣の人たちは確実に授戒していないだろうと思われたからだ。巫女さんのバイトみたいに外部の方に違いない。

こういう大きな寺院で写経なんてそうそうできるものでもなく、私はかねてから般若心経が好きという人間であったから迷いなく、千円する般若心経の紙を選んだ。

なるほど千円分のご利益がありそうな、実に上等の紙である。うす黄土色で、肌理(きめ)がよくて、美しい薄い罫線と、般若心経の文字がうっすらと印字されている。これをなぞるらしい。

広い写経部屋に、私は一人。外に、雑踏の声が大きい。

一時間半、私は写経に没入した。

困ったことには、書いても書いても煩悩や雑念が湧いてくるのである。「一字一仏」とあったものだから、仏様をこめる気合で、一字書き終えては「うまくいった」と合掌し、一字また進んでは「失敗しなかった」と手を合わせるような具合で、そんなだから進まなかったのかもしれない。本式の写経はこんなに臆病ではないのかもしれないけれど、私一人だったものだからなんとも言えない。

ようやく終えたときには足に血行が悪くなってびりびりとしていたし、筆ペンのインクはかすれていた。御手洗の近くにパソコンと事務机のすえてある事務室があったから声をかけると、先ほどとは違う男性の職員が出てきた。

男性職員は私を仏壇の前へ案内した。その、入ってすぐまします仏像に私は入った時気付かなかった。写経した紙を仏様へおおさめするように私に指導したのち、その職員は、

「お願いごとをお祈りしてください」

と、やわらかな京なまりで言った。

困った。

私はわりとまじめな有神論者で、けっこうまじめに信心もしているという変わった若いやつだが、ご利益のみを願うということはまずない。自分は神意の進むままに生きるだろう、神仏はいつだって私の味方だからまあなんとかしてくれるものであって、つまり完全に行く末を神仏に丸投げして他のことに思考を向ける、そういう信心者である。

とりあえず写経の紙にはしかたないので「天命遂行」と書いた。

「心願成就」でもよかったのだが、それだと平凡でつまらないので、ちょっとかっこつけた。

私の天命は書くことであり、それも好(よ)いものを書くことであり、ただそれを遂行するための体力だとか、体調の調整だとか、技巧のの能力なんかが明確に欠如していて、それで困っていたので、ともかくもそのへんを金閣の仏様におすがりすることといたしたのだ。

「そうしましたら、こちら和尚のほうでお祈りをさせていただきますのんで」

本日はお疲れ様でありましたというような言葉を受けて、私はようやく外へ出た。ご利益を期待したわけではなくて純粋な信心だったのに、なんだか裏切られたような気分である。

腕時計は午前十時すぎをさして、私を金閣へと焦らせた。

花曇りのやさしい午前である。私は人の波に乗って境内へ参る。

しばらく塀があって、木立があった。ほんの、しばらくのあいだ。

角を曲がろうとすると、わっ、と左手に金色が、来た。

金閣は強大に存在していた。

鏡湖池にはその姿が、金色の光が一寸もうすれることなく澄みきって映されて、その耀きは太陽よりも仏の後光に近いだろうと思われた。金閣の頂点の鳳凰像は絢爛と対岸の我々を見つめていた。

その美は、その建築は、すべての自然と調和していた。

調和しすぎて、おそろしいくらいだった。

人の作る庭であり池であることはなるほどそうだ、けれどもならばなぜ、空でさえもこの金閣におおいかぶさっている空は、ほかの京都の空とは異なってこんなにも確かなのだろう。

ほとんど、強さ、だった。

金閣が鹿苑寺の空間を支配していた。

永劫錆びることのない金で、永遠をつかさどる太陽を反射した、その特殊な後光で浄めていた。

京の都を金閣が掌握しているかのような気すらした。

私はこの金閣寺を見、金閣につつまれ、金閣に見つめ返された瞬間から、京都に対するすべての鬱屈と不満を忘れた。

金閣はこの都を支える一柱の神であるかのようにすら、私は思えてしまった。

ただただ私は古人に、つまり足利義満公と京のみなさまに感謝がみちあふれている。

「金閣はやはり良いね」

参路が終わるころになって、一人の男性がそばの友人に話している声が耳に届いた。

「けれど、寺ではないね」

友人は笑いながら返していた。

そうですね寺ではありませんねと私も胸のうちでうんうんうなずきながら、では金閣は何だろうと思い返すと、すぐに解答は出た。

金閣は、強い。

強いから、生き残っている。

応仁の乱でも、たびかさなる戦争でも、戦後の放火焼失でも、それでも時代をこえて凝然と私たちの前にあらわれる。

三島はあの金色を美、と言った。でもそれよりも何か、強い。美はなよやかなものであっていいはずだ、金閣は、完璧な存在だった。全能者として鹿苑寺のわれわれに光を送っていた。

だから三島は脳のうちで、燃やしたくなったのかもしれないけれども、

金閣は美でもなく、歴史でもなく、ただ「強さ」として存在し続けるであろう。私は金閣が存在するかぎり、京都は生きるべきだと思う。京都が存在する以上、金閣はそびえていなければならない。

金閣、ありがとう、私は、あなたのおかげで京都を好きになれましたよ。

けれどもどうしても、信仰の場所ではありませんねえと、それにつけくわえた。

それへの不満も私はまた別のある寺でほどけることになる。

お香を好む私は鹿苑寺の境内で、自分への土産に線香を買った。いくらかを家の仏壇に置いて、それで私の分はまた別にとっておこうと思う。

金閣の線香は、あの金の輝きにあやかったように華やいだ香でもってくゆった。

【参考:三島由紀夫『金閣寺』新潮文庫】

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